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西鉄宮地岳線部分廃止特集 - 第4回1 2 3 4 5 6 7 
 2007年春に一部区間が廃止になる西鉄宮地岳線。
 その周辺をいろんな切り口で取材してみました。
 前回に引き続き、宮地岳線の廃線跡を歩いてみた。
 廃線跡を歩くと、時代に翻弄されてきた路線の姿が見えて来るような、そんな気がした。


 階段を上下して貝塚駅コンコースへ。お互い終端駅なのに階段を昇り降りしなければならないのは、相互直通用の線路を通す為なのだが、建設以来20年以上たった今もこの構造は活かされないままである。
 宮地岳線の改札を通り、停車中の津屋崎行き電車に乗り込まず、一番のりばの先の方へ向かう。そこには「1/2 3」と書かれたキロポストがある。これは起点(0キロポスト)から3と2分の1キロ、すなわち3.5kmの地点を示す標識だ。…ここ貝塚駅は宮地岳線の始発駅なのに、ここより3.5kmも前にある「起点」とはどこか。そう、前回訪れた西鉄博多駅である。今でも津屋崎までの道のりは西鉄博多駅から測られているのだ。
 300形の吊り掛けサウンドに揺られて、西鉄福間駅へ。
 今回はここから旧宮地嶽駅への廃線跡を見て行くことにする。
 ここは、宮地岳線が1951年に津屋崎に延伸され、かつての終着駅である宮地岳駅が移転したことで廃線になったものである。
 西鉄福間駅の北側の未舗装道を歩いて、歩行者専用の踏切を渡ってしばらく歩いて行くと、廃線との分岐点にかかる跨線橋に出会う。
 電車は跨線橋をくぐり、終点津屋崎へと左にカーブした線路を走って行く。
 上の写真が津屋崎延長時に建設された線路である。この位置で急に曲がっているので分りやすいポイントだ。
 そしてこちらが廃線跡。右に向かって緩やかにカーブしている。
 宮地岳線は宮地嶽神社への参宮路線として建設されたのだが、旧宮地岳駅は何故か神社のすぐ傍には建設されず、少し南に離れた場所に建設された(これには理由があるのだが後述)。「宮地岳」という名前を冠しておきながら宮地嶽神社を避けるように廃線跡が伸びているのが面白い。
 廃線跡の築堤上から宮地岳線電車を撮影。夕日を浴びながら貝塚へと戻ってゆく。

 右は道路と廃線跡の交差部分。踏切だった雰囲気が今でも残っている。
 こうやって廃線跡を歩いているうちに、何度も電車は往復する。もうすぐ廃止される路線の本数とは思えない。

 築堤を歩いて行くと橋の跡があった。橋自体は取り外されて、渡ることは出来ない。…いや、走り幅跳びの要領で跳べば渡ることも出来なく無い気もするが、危ない橋を渡るのは止めておこう。
 廃線跡はやがて舗装道路と合流し、宮地嶽神社の臨時駐車場へ繋がっていた。この臨時駐車場こそが、旧宮地岳駅跡である。この場所には鉄道の遺構はもう残っていないようだ。駅があった頃はどんな雰囲気だったのだろうか。

 さて、博多湾鉄道がこの路線を建設した際、終点宮地嶽駅はこの宮地嶽神社より南に少し離れた場所に建設された。その訳は、この路線が単純に宮地嶽神社参詣客のみを目的として建設されたのでは無いからだ。
 それは、ここより更に路線を延長して、筑豊方面と接続するという目的である。見坂峠を越えて宮田、更にその先の飯塚や直方を目指したのである。
 結局のところその計画は、資金不足や汚職事件によって成されることは無かったという。そして、この中途半端な位置で終わってしまったことが、結果的に今回の廃止につながってしまったのでは無いか、そう思う。

 路面電車が消え、地下鉄が伸びてきて、国鉄はJRへと、時代はどんどん変わっていった。そういう時代の変化の中、宮地岳線は殆どそのかたちを変えずに走り続けた。
 「変わらない」ことは伝統工芸や観光地であれば賞賛されることなのだろうが、宮地岳線は鉄道というれっきとした公共交通機関である。時代の流れと共に変化して行くべきであった、…いや、変化しなければ生き残ることは出来なかったのである。
 それをやらなかった企業が悪い、どうしていこうという明確なプランを示せなかった自治体が悪い、等と言っても仕方が無い。このような状態になってしまった今から乗客を取り戻すには膨大な費用がかかるだろうし、成功する保証も無いのだ。
 だから、だからこそ、部分廃止後の新しい貝塚線は変わって行かなくちゃならない、そう思う。確かに今回の廃止区間より幾分かマシではあるが、乗客が減り続けていることには変わりが無い。変化しなければいずれ同じ道を辿ることになってしまうだろう。これは別に宮地岳線だけでは無く、全国のあらゆる公共交通機関にも同じことが言えるのでは無いだろうか。

 そんなことを考えながら歩いているうちにJR福間駅に着いた。駅前にはJR九州バスが停まっている。
 JR九州バスは博多湾鉄道の果たせなかった夢を受け継いでか、ここ福間駅から宮田・直方方面への路線を走らせている。

 やってきた博多方面の列車は7輛編成の快速電車であった。古賀、新宮、香椎…宮地岳線では一歩づつ踏み締めていった場所を、快速電車はあっという間に駆け抜けて行く。

西鉄宮地岳線部分廃止特集 第4回 終 
著 者 紹 介D.Na - でぃ・えぬえい
当サイト「九州電波通」の管理人。
今回も宮地岳線廃止と直接関係ありませんが、歴史的背景ということで。
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