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西鉄宮地岳線部分廃止特集 - 第3回1 2 3 4 5 6 7 
 2007年春に一部区間が廃止になる西鉄宮地岳線。
 その周辺をいろんな切り口で取材してみました。
 今回は、宮地岳線の廃止区間を取材してみようと思う。
 といっても「これから廃止になる」新宮から津屋崎の区間の事では無い。あまり知られていないが、宮地岳線にはこれ以前に廃止になった区間があるのだ。
 「これまで」の場所と、「これから」の場所。今だからこそ、取材することにした。

 今回はまず「貝塚線」を取材することにする。
 おや、と思う方もいるかもしれない。4月の部分廃止以降の名前も「貝塚線」なのだから。経緯は後ほど説明するが、宮地岳線にはかつて「貝塚線」と呼ばれた区間があるのだ。

 まず最初に向かうのは、宮地岳線のかつてのターミナルである千鳥橋周辺。千鳥橋とは福岡都心北側を流れる御笠川の河口近くにかかる橋。ここにかつての宮地岳線の起点である「西鉄博多」駅があったそうだ。博多という名前がついているがこの場所は歴史的には「博多」と呼ばれた地域からは遠い。

千鳥橋バス停。

 天神から昭和通り経由のバスに乗り、千鳥橋バス停で下車。道路の向かいに西鉄バスの駐車場(千代営業所)が見える。こここそがかつての西鉄博多駅らしい。

 西鉄博多駅の歴史を書こう。この駅は1924年に博多湾鉄道汽船(現在のJR香椎線、西鉄宮地岳線を建設した会社)により香椎線和白から都心へのルートとして建設された。この時に都心側の起点として建設されたのが「新博多」駅である。この新博多駅は1942年に西鉄が発足するのに伴って「西鉄博多」駅に名前が変わり、そのまま戦後を迎える。
 この西鉄博多駅に転機が訪れるのが1954年。西鉄多々良駅(現在の貝塚駅)までの区間が福岡市内線の線路規格に変更され、路面電車が乗り入れることになる。これによりこの区間は実質路面電車の一路線としての扱いになった。そしてこの区間は「貝塚線」と通称されるようになった。
 …そんなわけでこの区間は「路面電車の廃止区間」として紹介されることが多いのだが、今回は宮地岳線の廃止区間という面から見て行こうと思う。

西鉄博多駅跡を南側から見る。右側のマンションに沿うようにして貝塚方面へ線路が伸びていた。路面電車乗入れ以降に建てられた建物が今も残っている。

 前置きが長くなった。
 ここ千鳥橋は、宮地岳線があった頃からずっと交通上の重要な地点であった。もちろん宮地岳線から路面電車へ乗り換える人々も多く居たのだろうし、今でも香椎方面から国道3号線でやってきた車はこの橋を渡って天神方面へ向かう。
 フォークグループ・チューリップも「千鳥橋渋滞」というタイトルの歌を歌っているように、私が来た時もクルマでごった返していた。

路面電車時代の写真資料を見ると必ず写っている建物。この建物に対する言及は手許の資料にはないので詳細不明。待合室だろうか。


貝塚側から上の建物を見る。この建物の左側にY字線が有り、博多駅方面と天神方面に電車を振り分けていたそうだ。なお、宮地岳線時代は3つの乗り場がある駅だったそうだが、それらの施設は全て取り壊されて残っていない。


おまけ…西鉄のCNGノンステップバスがたまたま通りがかったので撮影。中扉が引戸と言う非常に西鉄、ひいては九州のバスらしく無い仕様。正直引戸って開閉に時間かかるし幅は狭いしで使い辛いイメージが県民的にはあるのだが、みなさんはどうお感じであろうか。
 千鳥橋から廃線跡に沿って歩いて行く。バス営業所の先は細長い緑地帯になっている。その公園を抜けると、興味深い物件がある。それはカーディーラーなのだが会社名が「西鉄エム・テック」なのだ。公園の先の不自然に細長い駐車のライン上に見事に一致している。この会社、西鉄バスの整備等をしているようで、この廃線上にある建物が本社らしい。

千代営業所から貝塚方面を見た写真(左)と、緑地帯から千鳥橋方面を見た写真(右)。ちなみに左写真の塀に囲まれた部分は墓地である…。



西鉄エムテックと、それに連なる廃線跡。下の写真の柵の有る駐車場がそれ。よく見ると奥の建物が線路跡と道路に挟まれて台形になっているのが判る。線路は消えても、土地や建物はその歴史をずっと覚えている。

馬出3丁目の歩道橋から千鳥橋方面を眺む。右がゆめタウン、左は団地。電車の代わりにバスが行き交う。

 ここから先、ゆめタウン博多の道路の向かい側はネットカフェ等の商業施設になっている。このゆめタウン博多は臨港線の廃線跡を利用して建設されている。現在の光景からは3号線を挟んで線路が輻輳してしていたことはほとんど想像出来ない。

 馬出3丁目バス停 ─路面電車に同名の電停があった─ 付近から再び緑地帯になっている。緑地帯からあたりの建物を眺めると、線路に対する「態度」をそのままとっていて面白い。



馬出3丁目バス停あたりから始まる「馬出緑地」。廃線跡をそのまま緑地化している。
一番上が馬出3丁目付近、下2枚は浜松町電停跡周辺。いずれも貝塚方面を見て撮影。
 こうやって廃線跡を眺めて行くと、地下鉄建設で何故ここを活用しなかったのだろう、と思う。わざわざカネをかけて地下を掘らなくとも、地上に鉄道を作る場所はここにあったのに。そもそも路面電車の廃止は渋滞だったはずなのだから、全線専用軌道のこの区間は廃止せず宮地岳線を再び乗り入れるようにしてもよかったはずなのだ。
 もっと言うなら、路面電車が無くなったからといって渋滞は減らなかったのだ。福博の街は今、路面電車の代わりに大量のバスによって渋滞している。


馬出緑地の北側の端と、筥崎宮のグラウンド。左の駐車場と右の民家の間が廃線跡らしい。

筥崎宮大鳥居。この奥に貝塚線の線路があった。

 そんな事を考えているうちに緑地帯は終わり、筥崎宮のグラウンドに突き当たった。柵があって入れないので廻り道をして筥崎宮の大鳥居の前へ。この大鳥居の少し奥側を電車が通っていたらしい。参道を挟んでグラウンドの北側の廃線跡は筥崎宮の駐車場の一部になっている。
 また道を迂回して地下鉄箱崎宮前駅の出口前を過ぎると、廃線跡の道が不思議なカーブを描いた道と合流していた。まるで鉄道のカーブのようだが、それもそのはず、この下をそのまま地下鉄がカーブしているのだ。丁度廃線跡と地下鉄の路線との交点にある家は、地下鉄によって庭が削られて肩身が狭そうだ。

地下鉄線との合流地点。右側のカーブしている道の直下を地下鉄が通っている。

九州大学の校門。この前を線路が横切っていた。右が千鳥橋方面、左が貝塚方面。

 地下鉄線と合流した廃線跡は、車道に対して歩道が異様に広い道になって続いている。そこを抜けると箱崎九大前駅前に出た。いや、「駅上」と言った方が適切かも知れない。
 これより廃線跡は九州大学の敷地を掠めて伸びている。流石に現役の地下鉄が直下に有るのでその場所は駐車場や駐輪場として活用されている。

地下鉄箱崎九大前駅。大学が近いだけあって、このあたりは学生街の雰囲気。もし宮地岳線が存続していれば相当の収入があったのだろうが…。



おまけその2…九大構内の駐車場にある癌検診車。九州ではこのテの車輌も西工ボディが多くなる。

地下鉄が地上に出てくる地点。
 その先では、いよいよ地下鉄が地上に上がってくる。線路を跨ぐ歩道橋に上がって写真を撮る。

 6輛編成の電車が貝塚駅から発車してゆく。こうやってみると、架線電圧と線路の幅は同じだけれども宮地岳線とは別種の鉄道だな、と感じる。
 宮地岳線は車体長18mの3扉で2〜3輛編成、地下鉄は20mの4扉で6輛編成、ATO(自動運転)。開業時から相互乗入れの計画が有るそうだが、こんなに格差がある路線同士で乗り入れ出来るとは到底思えない。そもそも箱崎線内でも6輛編成では供給過剰気味のようで、昼間はガラガラなのである。
 かつてここまで乗り入れていた路面電車は、宮地岳線を更に改軌して乗入れ区間を伸ばすことも計画されていたらしい。実現して現在まで残っていれば、広島電鉄宮島線のような郊外直通路線になっていたのだろうか。

貝塚駅を発車する福岡市営地下鉄1000系電車。夕日を浴びて車体がギラリと光る。


貝塚駅前始発のバスは、一旦地下鉄貝塚駅の横を通って国道3号線へ向かう。地下鉄のホームにはホームドアが見える。このことが相互乗入れへのハードルを一層高くしている。

西鉄の貝塚駅。手前に見える線路は画面右側より伸びている地下鉄の線路。そしてホームに停まっているのは300形電車。

 駅前広場を抜けて西鉄側のホーム傍に行くと、地下鉄の線路が真横まで伸びているのが確認出来る。線路を繋げるだけならいつでも出来そうだ。けれども、繋げた線路を通って乗り入れるには、互いのハードルがあまりにも高い。
 そのことにもどかしさを感じながら、宮地岳線で次の廃線跡に向かうことにした。(続く)

西鉄宮地岳線部分廃止特集 第3回 終 
著 者 紹 介D.Na - でぃ・えぬえい
当サイト「九州電波通」の管理人。
今回は宮地岳線廃止とあまり関係ありませんが、「貝塚線」という事で取り上げてみました。
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