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西鉄宮地岳線部分廃止特集 - 最終回1 2 3 4 5 6 7 
 2007年春に一部区間が廃止になる西鉄宮地岳線。
 その周辺をいろんな切り口で取材してみました。
 最終日なんて…、そう思った。
 そこにはこれまで重ねて来た日常は無くなり、遊園地のような喧噪があるだけだから。
 そんな姿は見たく無い、行きたく無いという思いが頭の片隅に残りながらも、結局は最期を見届けたいという思いが勝って、出かけることにした。


 いつものように地下鉄箱崎線で貝塚駅へ。地下鉄車内のアナウンスは既に「西鉄貝塚線」に変わっていた。改札を出れば、地下鉄側の案内表時は殆どが貝塚線に変わっている。その事実に打ちのめされる。

 今日は廃止区間を無料で運行するとのことで、きっぷは新宮までの値段である260円。並んでいる親子連れが「よかネットカードで買えばいいやろ」とカードを出そうとするが、駅員に使えないことを指摘される。
 恐らくこの親子は今まで宮地岳線を利用したことが無いのだろう。けれども、「西鉄だからよかネットカードが使える」という考えは利用者にとってはある意味当然の考えである。山奥のマイクロバスですらカードが使えるのに、都市近郊のこの路線だけ「西鉄」になれずに取り残されているのだ。

 ホームには既に津屋崎行きの600形電車が停まっていた。これに乗ろうかと思っていたら、向こうから重苦しい音をたてて300形電車がやって来た。この旧式の「吊り掛け駆動」の車輌は部分廃止後に廃車になると噂されている。そんなわけで一本やり過ごし、この電車に乗ることにする。

 電車は貝塚駅出発時点から立客が出るほどの盛況ぶり。大勢の乗客で遅れているのだろう、電車が駅で離合する時の待ち時間が長い。廃止区間に近付くにつれて乗客は増えていく。
 新宮駅からは乗客がどっと増え、満員電車の様相に。これほど込むのは正月初詣の時くらいだったろう。

 想像していたのとは違い、マニアは少なく地元の人が多い。おばちゃんやおじちゃん、親子連れ…。
 「毎日とは言わんけど、結構乗ってたんですけどねぇ」という人、「娘婿が宮地岳線の運転士をしていて、今日が最後で異動になるからやってきた」という女性、「時々使いよったのに、バスになったら高うなる」と嘆くおばちゃん、「朝の電車の音が目覚ましだった」とおじちゃんが言えば、「逆行きの電車が出て行く音を聞いてから家を出たら、ちょうど駅に電車がやってきた」とおばちゃんが返す。
 …みんな、一人一人に宮地岳線にまつわる物語を持っているのだ。そして、その物語は今日で打ち切られてしまう。突然の打ち切りを迎えてしまうストーリーを、少しでもよく終わらせたい、きちんと決着を付けようとここに来ているのだ。それが自分の望んだエンディングでなかったとしても…。



 津屋崎まで乗り通して、そこからそのまま折り返して宮地岳で降りる。もう一度、宮地岳神社へ行こう。

 宮地岳駅の改札を出ると、正月のみ開いていた臨時出札口で記念切符と駅名キーホルダーを売っていた。最後のこの日にここが使われることになろうとは。

 駅から一直線にのびる宮地岳神社への道を歩いてゆく。こうやって宮地嶽神社へ行くこともこれからは無くなる。境内の桜は満開。去年こうやって花見に来た時は土砂降りだったなぁ、などと思い出す。
 境内から参道を見下ろすと、海に向かって一直線に道が延びている。この直線の先は玄界灘に浮かぶ相島へ至るという。由来はよく分からないが、何らかの信仰によって出来た道であることは間違い無さそうだ。その道の中程を宮地岳線が横切っている。そして、この一直線の道を、これからこの地域の交通を担うバスが走る。




 再び津屋崎駅に、駅横の公園へと向かう。桜は散り始め、この桜と電車の組み合わせも今日が最後。最終日とはいえ、電車は多少の遅れを伴いながらも、これまで運行して来た通りに終点にやってきて折り返してゆく。

 公園で遊ぶ子供たちは、駅に電車が到着する度に「でんしゃきたよー」と母親に告げ、発車すると手を振って見送る。この子らは今この場所に連れて来られた理由を解してはいないだろう。「でんしゃ」が無くなったことを理解するのはいつの事だろう、この日の事をいつまで覚えていられるのだろう…。
 そんな事を考えながら、私もしばらく公園のベンチに座って電車を見ていた。



 一旦博多駅に戻る。写真屋に頼んでおいたプリントを受け取る為、フィルムカウンター一杯になった写真を現像してもらう為である。もちろんその写真は宮地岳線を撮ったもの。
 喫茶店でアルバムに写真を差し込みながら色々なことを思う。今頃は、私が昔から慣れ親しんで来た天神コアの紀伊国屋書店が閉店している頃だろう。ここ博多駅の井筒屋も九州新幹線開業へ向けての工事に伴って閉店となる。時代の変化だ、というのは簡単だ。けれども、これまで積み重ねて来た何かまで一緒に消えてしまう気がして、心の中ではいつまでも納得出来ないのだ。



 再び宮地岳線へ、最後の宮地岳線へ行こうと思う。…実は、行くか行くまいかと多少迷った。昼間の宮地岳線は地元の人が多かったけれども、最終列車の頃は今度こそ鉄道マニアだらけなのではないか、と想像したからだ。その日だけやって来た人ばかりで埋め尽くされたような最期は見たく無かった。もしそうなら最期を見ずに帰ってしまおう…。

 地下鉄を降りて、宮地岳線の券売機は行列。「もう電車出ますけん、運賃は降りた駅で払うてもらったら良かですから」と駅員さんに即されて電車に乗り込む。車輌は313形の釣り掛け駆動の編成。
 電車に乗っていると、私が考えていたことが杞憂であることが分かって来た。確かに(私も含めて)マニアと思しき人は居る。けれども、それ以上に地元の人達が多い。若い女性から親子連れ、お年寄りまで。それは車内はもちろん沿線でも同様だ。ひとりひとりそれぞれの場所で、最期の姿を目に焼き付けようと待っている。

 はち切れんばかりの思いを乗せて津屋崎駅到着。駅のホームは報道陣と記念式典の準備の人達などでごった返していた。
 改札を出れば、昼間以上の混雑ぶり。こんなに混雑するのは開業以来だろう。そして混雑の主役は地域の人々。こうやって地域の人達に見送られて去って行くことは、せめてもの幸せだろうか。…最期くらいは、盛大に。

 電車が到着し、折り返して行く度に最期が近付いてくる。通常営業の最終電車が出て行くと、ホーム上ではいよいよ廃止式典の最後の準備がはじまり、いっそう慌ただしくなる。

 駅舎前では地元合唱団が唄っていた。記者のインタビューを横耳で聞くと、この歌は組曲で、もともと廃止反対の活動の為に創られた曲とのこと。残念ながら廃止が決まってしまい、それにあわせて歌詞を一部変えて唄ったそうだ。

 ちょうど日付が4月1日に変わる頃、大トリをつとめる電車が津屋崎駅1番線に入線した。廃止記念カラーの300形電車である。フェンスのそばは最後の「津屋崎」の行先表示を撮ろうという人たちで一杯になる。車内には前もって宮地岳駅で配布された先着整理券を持った人だけが乗客として乗っている。そのこともあって、車内は意外に混んではいない。


 しばらくして電車にヘッドマークが取り付けられ、行先は「貝塚」へと変わる。いよいよ最後の出立の時が近付いた。分かれの挨拶、運転士の花束贈呈など、式典は進んでゆく。

 そして、西暦2007年4月1時午前0時27分、津屋崎駅に最後の発車ベルが鳴り響いた。
 運転士は車体のベルを鳴らして扉を閉め、警笛を短く鳴らした。ゆっくりと電車が動き出す。
 どこからともなく拍手がおこる。歓喜の拍手では無い、お別れの拍手。その拍手に包まれて電車はホームを離れていく。私は、その姿が遠く向こうに見えなくなるまでずっと見つめていた。
 これで、最後なんだ。
 そう自分を納得させようとする。廃止の式典は全て終わったし、駅近くの踏切では早くも廃止に向けた作業を始めている。けれども実感が湧かないのだ。明日何事も無かったかのようにまた電車がやってきそうな、そんな気がした。

 心残りだけれども、私には帰る家がある。駅前のタクシー乗り場で予め予約しておいたタクシーに乗り込む。運転手は無線で「本社、電停の○○さまが実車です」と告げながら車を発車させた。名残惜しそうにしている人々がまだ沢山居る駅前を抜ける。
 運転手さんの話によれば、宮地岳線のことを地元では「ハコ電車」と呼んでいたそうだ。由来は良く判らないそうだが、福岡市内線の丸っこい電車より角張っていたからだろうか。
 このタクシー会社は津屋崎駅前で客待ちをしていたので、これからどうするんですかと訪ねると、代替バスからの乗り換え客の為にこれまでどおり待ち続けるけれども、どれだけお客さんがいるかわからない…とのこと。廃止されたということより明日からの事で頭がいっぱい、という感じであった。
 もう電車が来ない踏切を、しっかり一旦停止してタクシーは行く。その踏切でも廃止に伴う工事が既に始まっていた。



 今まで行ってきたどこにも、電車が走ることはもう無い。
 明日の朝から、少しだけ違う日々が始まる。

 ああ、明日の今頃は。
 僕は…。

西鉄宮地岳線部分廃止特集 完 
著 者 紹 介D.Na - でぃ・えぬえい
当サイト「九州電波通」の管理人。
未だに「その後」の姿は見ていません。…何かが、壊れるような気がして。
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