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昭和バスの終点へ - その4 | ◆その1 ◆その2 ◆その3 ◆その4 |
2006年11月に廃止になる福岡地区の昭和バスの路線に乗った記録。 | |
このシリーズでいろんな路線に乗ってきたけど、これが最後…。 というわけで今回は、あえて最後までとっておいた路線。歴史と伝統の路線の今。 |
■前原-姪浜線 (姪浜駅-今宿-前原-加布里 乗車時間56分) 今回のシリーズ最後の路線は、姪浜駅から旧国道202号線に乗って前原・加布里方面に行く「前原-姪浜線」だ。上に掲げた路線図を見てピンと来た方も居るかと思うが、この路線はかつて東は博多、西は唐津まで通じ、特急・急行なども運行される昭和バスを代表する路線だった。なにしろこの路線で長く潮風に晒される為に、かつての昭和バスの車体はステンレス貼りの特注品だった位なのだ。 ところが筑肥線の電化により乗客が減少し、遂には路線分断にまで至った。 そんな由緒ある路線が廃止される。 確かに筑肥線がずっと並行しているから廃止も止むを得ないというのはよく分かる。けれど、けれどもだ。昭和バスの代名詞的存在だった路線の生き残りが消え去ってしまうということに、私は感傷的になってしまうのだ。
そんな思いを抱きながら、地下鉄で姪浜駅へ。ここの南口が今回の路線の起点である。実は廃止直前であるというのに8月下旬に北口からこちらの南口にのりばが移されている。真新しいバス停のポールには、「マリノアシティ福岡行きバスのりば」の大きな表示と路線図が示され、前原方面行きのバスの時刻表は下の方にひっそりと貼られていた。完全に力関係が逆転している。 しばらく待っていると白地に三色の帯を巻いた昭和バスがやってきた。しかも2台も。前方の車輌が加布里行きで、後ろのバスはマリノアシティ行きだ。こちらのバスには乗る人はあまり居ない…かと思ったが実際は逆で、こちらに十数人、向こうはガラガラである。2分遅れの14時29分発。 | |||
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バスは姪浜駅を半周して北口を通過し、駅前の道を北上して左折、唐津街道に出る。姪の浜バス停で数人が乗車。次の小戸は下車可能な最初のバス停で、早くも5,6人が降りてしまう。その次の九大宿舎前でも多くの下車があり、あっという間に車内はガラガラに。ちなみにここまでの運賃は100円となっている。 生の松原、生の松原海水浴場前と松原の中を進むと海が見えてくる。この路線の最初のハイライト、長垂海岸である。一段高い場所に筑肥線の線路があり、そちらは短いトンネルでここを越えるが、道路の方は海岸をぐるりとまわってゆく。 | |||
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長垂海水浴場バス停の先にこの地域の名物チェーン店、牧のうどんの今宿店がある。加布里を創業地とするこのうどん屋は、202号線沿いに多くの店を展開している。
14時47分、2分遅れで今宿バス停着。数人が降り、数人が乗車。11月以降閉鎖されてしまう今宿バスセンターの前を通過する。 このあたりから道は渋滞気味になってくる。のろのろ走っていると左側に大きな建物が見えてくる。九大学研都市駅前にあるイオンショッピングセンター(ジャスコ)だ。この駅と商業施設はこれからこの地域の核となってゆくのだろう。このバスはこの駅には立ち寄らず、最寄りのバス停も「北原」という全く関係ない名前だ。
周船寺を過ぎ、道は相変わらず渋滞。風景としてはあまり面白いものは無い。…が、このあたりは私が子供の頃時々訪れていた場所。ふと昔の記憶がよみがえる。 ─あの頃、この道を走る昭和バスはちょっと不思議な存在だった。自分ちのそばを走ってた西鉄バスの明るいカラーとは違って、昔の昭和バスは銀色のギラギラした車体に赤い帯、ホイールが真っ黒に塗られた重々しい、どっしりとしたイメージ。4枚扉を見慣れた目には、扉が異様に狭く見えて。それどころか前にしか扉が無いバスが走ってるもんだからワケが分からない。「あれはカラツの方に行くバスだよ」って言われたことはあっても、実際に乗ったことは一度も無かった。 だから、唐津には行かなくなっていることを最近知ってショックだった。そして、残った路線も消え去ってしまう。次にこの場所に来る時は、ここを走る路線バスはもう無いのだ…。 波多江駅の最寄りのバス停「産の宮」の次の潤で始発から乗っていた老人が降り、始発から乗っている人は私以外居なくなる。 | |||
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そろそろ前原が近い。道はますます混雑してくる。都心の伊都文化会館前で殆どが降りてしまい、5分遅れで到着の前原バス停では私以外一人になってしまう。 前原駅前、前原駅北口と進むが「駅前」バス停より「北口」バス停の方が駅に近い。北口では4人の乗車。前原市役所前を過ぎると「糸島富士」の異名を持つ可也山が見えてくる。 このあたりから筑肥線と並走。美咲が丘駅の先に前原営業所があり、たくさんのバスの中に一台、銀色のバスがちらりと見える…まだ健在だったんだ! | |||
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筑肥線と別れたあたりで赤坂。このあたりから建物がまばらになってくる。道も空いてきて、開放的な雰囲気に。都心を離れて数十分、建物は旧街道沿いの雰囲気。やっとこさ旅情が出てくる。 …でも、それも打ち切られるのだ。終点はもうすぐ。 加布里東口で私以外降りてしまい、しばらく走って旋回場に入って終点加布里。9分遅れの15時25分着。 | |||
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私を降ろしたバスはすぐにドアを閉じて前原方面へ去って行った。きっと前原営業所へ戻るのだろう。 さて、この終点加布里は一言で言ってしまえば「何も無い」場所であった。大きな施設が有るでもなく、駅があるでもなく。街道沿いにたまたま旋回場を作るスペースがあるから終点になったような、そんな場所。 ここがかつて終点では無かったことを示すように、旋回場の先にバス停の跡が残っていた。 | |||
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そのバス停の跡まで歩いてゆくと、海が見えてきた。道路は左に大きくカーブして海沿いに伸びている。この道はこの先、唐津まで続いているのだ。 | |||
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この風景を眺めていると、子供の頃聞いた「唐津に行くバス」のことを思い出していた。 …結局、乗ることが出来なかったな。 あの頃から、いつかは乗りたいと思っていた。けれど、今はもうここまでしか来ることが出来ないし、いつまで待ってもここから先に行けるバスは来やしないんだ。 そしてこの唐津街道を東上、西下するバスも消えてしまう。何度も見てきた、あのバス停も無くなるのだ。 時代が変わる、というのはこういう事なんだろうな、と思う。 人も、道も、青春の時を過ぎて、大人になってゆく。 | |||
昭和バスの終点へ 完 |
著 者 紹 介 | D.Na - でぃ・えぬえい 当サイト「九州電波通」の管理人。 今回の路線は私にとって最も関わりの深かった路線。 それだけに、文章がなんだかセンチメンタルになってます…。 |
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