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昭和バスの終点へ - その2◆その1 ◆その2 ◆その3 ◆その4
 2006年11月に廃止になる福岡地区の昭和バスの路線に乗った記録。
 前回は、唯一の昭和通り経由のバスに乗ってクローズドドアの実態を見てきた。今度はどの路線に乗ろうか…。路線図を見ると、糸島半島を半周するラインがある。よし、この路線に乗ってみよう…というわけで筑肥線で前原へ向かっていたのだった。

野北線・上の原線 (前原-初-野北-元岡-今宿-今宿野外活動センター 乗車時間1時間4分)
 この「野北(のぎた)」という志摩町内の一集落名が付けられた路線は、地図上で不思議なラインを描いている。前原から北上していって野北までいったら、そこから進路を南西方向へ向けて今宿まで達している。更にそこで終点とならず、そこから山中に向かって「野外活動センター」なる場所でやっと終点となっている。この路線を乗り通すという事は、東京で云えば地下鉄丸ノ内線を全線乗り通すようなモノである。
 上の原(かみのはる)線は、上記の野北線の今宿から今宿野外活動センターまでの部分だけを運行する時のみに使用される名前であるようだ。よって厳密には上の原線のバスには乗車していないということになるが、ルートは全く同じなので割愛してもいいだろう。
 なおこの路線は、前原から野北の少し先の「谷」までは11月以降も廃止されないことになっている。当初の廃止予定と比べると、志摩町内の路線が多く存続する結果となった。

野北線の前原行きバス。

 筑前前原駅の改札を出て、駅から少し離れた場所にある昭和バスの前原バス停へと歩く。念のため記しておくと「前原」は「まえばる」と読む。九州各地に存在する「ハル・バル」地名である。
 途中ですれ違った前原行きの野北線のバスを撮ったりしながら前原バス停へ。待合場所がかなり広く、一見バスセンターのようだが、バスが停まるのは道路上なのでここはあくまでも「バス停」のようだ。

前原バス停の待合所の外観(左)と、中から(右)。師吉・船越線のバスが到着。
 さてそのバスセンター、否バス停の待合所内に入ると天井から掲げられた時刻表、券売機、運賃表、窓口となかなか立派なつくり。運賃表の野北線の欄を見ると…、今宿までの運賃しか記されていない。まぁ当然である。

柱に刻まれた路線図の跡。「至唐津」の文字や乗合タクシーに移管された白糸の滝方面の路線を読み取ることが出来た。
 そういえば、待合所につきものの「路線図」はどこだろう…と見回して見ると、あった。ただしペンキに塗り潰された形で。待合所の柱の部分にひっそりと残っている。例によって既に廃止された路線が描かれていたようだ。

 待合所の観察をしているうちに野北線のバスがやって来た。短い車体にわざわざ前扉と中扉の二つを付けた、まるでチョロQのようなバスである。乗り込んだ客は私以外に数人。ローカルバスらしく、お年寄りばかりである。
 定刻1分遅れで発車、郊外へ向かう前に前原駅前バス停へ。ここでも乗客があるだろう…と思っていたが全く居らず駅への道を引き返し、今度こそ野北方面へ。
 加布羅(かぶら)まで行くと、周りはすっかり田圃だらけ。川沿いの道を北上する。夫婦橋と書いて「ふうふばし」と読むバス停を過ぎて「」。ここから「フリー降車区間」に入る。名前の通り、バス停で無いところでも自由に降りることが出来る区間である。

 バスは2車線の道を時速40kmほどでのんびり巡航、途中のバス停で停まって後続の車を追い越させたりしつつ野北着。ちょっと狭い1車線道に入った所に野北バス停はあり、小さな待合所があった。数人降りて、2人ほど乗車して発車…と、運転手さんが急にバスを停めた。運転席の窓を開け、後ろに身を乗り出して…、

 乗るとー?
 「×××××」(←話してる相手の声、聞き取れず)
 乗るとねー!?
 「×××××」
 反対側で待っとるけん、乗らんのかと思った

 そう言って、運転手さんはドアを開けた。
 …そうなのだ。ここ野北バス停は、このバスの進行方向の右側、すなわち前原方面にしかポールが建っていないのだ。このテのバス停は田舎の路線なら普通で、反対方面のバスに乗る時はポールの反対側で待つのが慣例なのだが、知らない人は多いだろう。
 乗り込んで来た人は若いサラリーマン風であった。バスに乗り馴れていない雰囲気で、どういうわけで乗ったのだろうかと思ったが、詮索するのは止そう。

野北を過ぎたあたりで前原行きバスとすれ違う。この路線の車輌は例によって統一されていない。中型だったり小型だったり、前扉だったり前中扉だったり…。

 そんなことがあって野北を出発。ちなみにこの時点で前原からの乗客は私を除いて一人だけ。その乗客も少し先のバス停で降りてしまった。いわゆる「乗客の分水嶺」を越えたのだろう。野北の先のバス停でもぱらぱらと客を拾ってゆく。
 相変わらずの40km巡航でのんびりと道を行くうちにバス停を通過。ここが11月の廃止以降の終点になる。バス停の先に旋回場があり、これが終点に選ばれた理由なのだろう。
 さて、バスはついに廃止予定区間に入った。だからといって何か変わる訳でも無く、相変わらず2車線の道をのんびり行くだけだ。きっと廃止の日まで変わらず繰り返されるのだろう。

九州大学伊都キャンパス。
 道は山あいに入り、「桜井峠」というバス停を過ぎると下りに、志摩町から福岡市に入る。福岡市…といってもそれは行政区画上の話で、ここ郊外の風景は農村そのものである。 …と、右手の山の向こうに巨大なビル群が見えてくる。これこそが現在建設中の九州大学伊都キャンパスである。さっきからやたらダンプカーとすれ違うなと思っていたのだが、そのダンプカーはここから沸き出しているのであった。
 桑原で右に曲がると、そこには中央分離帯と歩道の付いた真新しい4車線道路。今は見渡す限りの田園だが、数年後には学生向けのアパートや商店が建ち並ぶのだろうか。山手で一転狭い道に入り込み、元岡を過ぎるとフリー降車区間の終了を告げるアナウンスが流れる。

伊都キャンパス行きのバス。三菱のエアロスター。なんかどっかの中古っぽい…。
 まわりは住宅地の様相を呈しはじめ、玄洋高校を過ぎたあたりで九大キャンパス行きのバスとすれ違う。立派な大型のバス。今後、福岡地区の昭和バスのドル箱路線になることを願う。

 そんなこんなで、ほぼ定刻に今宿バスセンター着、乗客は私以外全て降りる。糸島半島を半周。この時点で乗車時間は52分、運賃は…950円
 誰も乗せずに発車するかと思ったら、バスセンターから路上に出る直前に駅から駆けて来たおばさんを一人乗せる。ここからは上の原線との重複区間となる。青木までは前回乗った「今宿-三陽高校線」のルートを逆向きに辿るかたちになる。青木を過ぎると終点まではフリー降車区間である。先ほど乗ったおばさんはフリー降車制度を活かして「○○バス停の先の×××さんあたりで降ろして下さい」と告げて降りていった。
 さて、道はいよいよ狭くなり、山を上ってゆく。民家が途切れ、駐車場が見えたところでそこが終点今宿野外活動センター、定刻着。

 …で、こんな路線を乗り通した筆者の事を運転手さんは放っとくワケもなく。
 ナニ事!?
 …そりゃそーだ。
 「いや、この路線が廃止になるっちゅーけん、廃止になる前に乗っとこうかと…」と私。
 あーやこーやと話しながら運賃を支払う。ええと…1050円。流石にこの時は「バカだ私」と心の中で感じたのであった。

今回乗車したバス。日野製の小型バス。この大きさならトップドアで充分だと思われるのだが…。ナンバーを見ると前回今宿バスセンターで見掛けた車である。



今宿野外活動センターバス停。
 バスを降りると…ホントになんもない場所である。仕方がないので折り返しまで野外活動センターなる場所で時間を潰す。
 そろそろ時間なのでバス停に戻ると、乗った時と同じバスが同じように停まっていた。当然と言えばそうだが。バス停のポールを撮ってると運転手さんが「そろそろ出かけるばい」と声をかけてくれた。

 帰りのバスは運転手さんと雑談三昧であった。「どっから来たとね」から始まり「ようマニア来るばい」「嫌なのとか来るんですか」「おるよーやたら写真撮らせれ言うんとか」「ウチの会社にもマニアおるけどね」果ては「○○んとこの息子さんが×××××でね」等という世間話まで。
 「若いの入ってこんけん辞められん」ともらす場面も。そう、昭和バスは不採算路線維持の為、定年延長や昇給カットなどの経営努力をしてきた。不採算だからといって簡単に廃止にしてしまう企業が多いなかで、昭和バスはよく努力してきたと思う。バス好きとしては悲しいのだが、これまで乗ってきた感覚では廃止も止むを得ない、と思う。地元の人は殆どバスなんて乗らないし、働く側も限界なのだ…。

 そんなこんなで行った道を駆け降りて今宿バス停に到着、いろいろお話ありがとうございました、と言ってバスを降りる。筑肥線で糸島を去ったのであった。
昭和バスの終点へ その2 終 
その3へ続きます〜。
著 者 紹 介D.Na - でぃ・えぬえい
当サイト「九州電波通」の管理人。
実はバスの車種に関してはあまり詳しくないので資料見ながら書いてます…。
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